【ノンフィクション】温室で育ったものにとって世間はそんなに甘くない。志がいかに大切か。目標を見失うな。

ノンフィクション

先輩の叱責に耐えられずに3か月で東京の有名レストラン「レストラン大宮」を辞めてしまったかずま。

上から言われるのがつらいと一番上のボスであるオーナーシェフの大宮さんに言っていたが、その言葉はいろいろ強い調子で言ってくる先輩その人に直接言わなければならなかったのではないか。

最初はしばらく歓迎ムードでゆっくり優しく教えてくれていた先輩たち。誕生日会もしてくれた。かずまも仕事を少しずつ覚えて、食品学の勉強を仕事場でするぐらいに気持ちが入っていた。

それからしばらくして、先輩の言い方はどんどんきつくなっていった。一つ一つの仕事を速く正確に終わらせなければならない。でも仕事がきちんとできない。遅い。それがかずまには負担になっていった。

周りに迷惑をかけてしまう。自分は使えない人間だ。

そういう思いでいっぱいになったかずまは実は勤務一日目で大宮さんに「辞めたい」と申し出ていた。そのときは大宮さんの言葉を聞き入れて「さすがに初日で辞めるわけには」と思ったのか、辞めるまでには至らなかった。

かずまの高校の担任によれば、かずまはクラスの中でよく頑張っていた生徒の一人だったようだが、仕事は学校の文化祭のイベントの一つとは違う。自分が楽しいと思えることを一生懸命やっていればいいのではない。

かずまは一日も早くレストラン大宮の戦力にならなければならない。そのために先輩としてはギアをあげなければならなかったのだろう。かずまの面倒を見ていた先輩はかずまと同じようにして高校を卒業して上京、20代半ばになった今レストラン大宮で中心的なシェフとして大活躍している。

その先輩はレストラン大宮の先輩シェフとして「敢えて」かずまに強く当たっていたに違いない。早く一人前になってほしい。つまりそれは愛の鞭に他ならなかったのだが、かずまにはそう思えなかった。かずまの夢への気持ちはそのぐらいのものだった。「虐げられている」自分がかわいそうで、現実と向き合えず、体調を崩して、家にこもり、ゲームをして、コンビニの食事をとる。3か月の最後の方はそんな日が続いた。

かずまの育ての親はかずまの祖父母で、その祖父と大宮さんは若いころからの料理人仲間だった。レストラン大宮といえば東京で超有名なレストランで大宮さんは90年代に料理の鉄人に出たこともあるぐらいの有名人だ。

喉から手が出るくらいこのレストランで働きたいと思っている若者も世の中には大勢いるだろう。そんなレストランへの内定をかずまは祖父の強力なコネでいとも簡単に手に入れてしまった。

コロナのせいで北海道から上京できないなか、かずまと友達が土手にこしかけて夢について話していた。「なんで東京なの?」という友達にかずまは「料理人で一番になりたいから」と答えた。

今思うとこの気持ちはかずま自身の本当の気持ちではなかったのかもしれない。

かずまの料理への関心は言わずもがな祖父を通して育まれた。腕利きの料理人が一番身近なところでレストラン顔負けの食事をいつも用意してくれる。

一番の料理人になりたいと常々思っているのなら祖父に料理を熱心に教わってもよさそうだが、かずまは祖父母と暮らしている間一度も料理をしなかったと言ってもいいぐらい、料理は初心者だった。

かずまには明らかに社会経験が足りなかった。高校という温室で先生に守られながらぬくもりの中で大きく成長したのはいいが、社会に出て荒波にもまれても負けないまでの人間にはなれなかった。

これが学校教育の限界か。

自分が教えている生徒を見た時も「この生徒はまじめで勉強はできるけどタフじゃないなあ」と思うのは何人かいる。悪さをしたり校則を守らないでいる生徒の方が一人で生きていくだけの人間力はよっぽど高い場合が結構ある。

「料理人に今後ならないのか」と大宮さんが問うとかずまは「ならない」と即答。かずまが精神的に追い込まれていたのが見て取れる場面だったが、私には大宮さんが寂しそうでならなかった。

かずまと最初に会ったときの印象を大宮さんは「きちんと受け答えができる良い青年」とか「良い環境で育ったことがうかがえる」とか「自分も高齢だし最後の弟子になるかもしれない」と嬉しそうに答えていた。

自分の期待をかずまに背負わせすぎたともいえるが、かずまの祖父との交友関係もあるし人一倍親身に尽くそうとしたのだろう。それがかえって仇となったのが辛い。

育てる側はそのような余計な気持ち、ひいきする気持ちはもってはいけないのかもしれない。

戦力となる新人がレストラン大宮に入ってくることを祈ると共に、かずまには大きなチャンスを逃したことを忘れないでほしい。上京して三か月で戻ってきた孫としばらく一緒に暮らしてからガンで亡くなったかずまの祖父は「孫に東京で一流の料理人になってほしい」と思っていただろう。

こんな大きなチャンスはかずまの人生でもう一度あるのだろうか。北海道に戻ってからコンビニでバイトを始めたかずまだが、一度きりの人生悔いのないように大いに楽しんで生きていってほしい。

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